パニック障害のご相談の中でも、「電車が怖くなってしまった」というお悩みは非常に多く寄せられます。
Aさん(40代・女性)は、パートと家事を両立していました。
毎朝、子どもを送り出してから電車で職場へ向かうのが日常のリズム。
買い物、病院、友人との約束など、生活のほとんどすべての場面で、電車は欠かせない移動手段でした。
ところが2年前のある日を境に、その「当たり前」が崩れてしまいました。
「電車に乗れない」という状態は、仕事の遅刻・欠勤、子どもの学校行事への参加、家族との外出など、すべてに影響を与えていきました。
車での迂回方法や「乗れそうな時間帯」を考えることが頭から離れず、「普通に電車に乗れていたあの頃に戻りたい」という気持ちが、日に日に強くなっていったといいます。
電車内での腹痛と発作がきっかけに
突然の腹痛とパニック発作
2年前のその日、Aさんは朝の通勤電車に乗っていました。
特に変わったことはなく、混んでいるといえば混んでいる、いつもと同じ時間帯の車内でした。
ところが発車してしばらくすると、下腹部に差し込むような痛みが突然走りました。
トイレに行きたいという感覚が急激に高まり、「でも次の駅まで数分ある、降りられない」という焦りに変わった瞬間、今度は心臓がドクドクと速くなり、息が吸えないような息苦しさが重なりました。
冷や汗が出て、手が震えて、「このまま倒れるかもしれない」「ここから逃げられない」という恐怖が体全体を包んだといいます。
次の駅でなんとか降り、ホームのベンチに座り込んだとき、ようやく症状は落ち着きました。
「あれは何だったんだろう」
その日は職場に遅刻し、動揺が収まらないまま仕事をこなしたそうです。
それ以降、電車そのものが怖くなってしまった
その一度の出来事が、Aさんにとって大きな転換点になりました。
翌日から電車に乗ると「またあの感覚が来るかもしれない」という恐怖が先にやってきて、体が緊張するようになったのです。
最初は「短い区間だけなら」と試みました。
しかし、1駅、2駅乗ると、お腹が締め付けられるような感覚や動悸が現れ、途中下車することが続きました。
試みるたびに「やっぱりダメだった」という記憶が上書きされていき、やがて電車に乗ること自体を避けるようになっていきました。
今では、駅のホームや改札口に近づくだけでお腹が痛くなり、動悸と息苦しさが出てしまいます。
からだが「電車=危険」と記憶してしまったかのような状態でした。
もともと「お腹に出やすいタイプ」だったAさん
月に1回ほどはお腹をくだしていた
振り返れば、Aさんはもともとお腹が弱い方でした。
月に1回ほど、特に理由もなく突然お腹をくだすことがあり、緊張するとお腹に来やすい傾向もありました。
大事な会議や試験の前日、外出前にトイレに何度も行ってしまう。
そういう体質が、学生の頃からずっとあったといいます。
ただ、それはあくまでも「自分の体質」として付き合ってきたレベルのことで、日常生活を大きく制限するほどではありませんでした。
電車の中で今回のような形で出たのは、あの日が初めてでした。
心療内科での治療と、その限界感
発作の後、Aさんは心療内科を受診しました。
抗不安薬を中心とした薬物療法を受け、一時的に少し落ち着いた時期もあったといいます。
しかし電車に乗れない状態はなかなか変わらず、「このままでは仕事を続けられない」「子どもの行事に行けない」という焦りが積み重なっていきました。
「薬で日々の不安を抑えることはできても、電車への恐怖だけは残ったままなんです」
そうした閉塞感の中で、漢方での相談を考えるようになったとのことでした。
漢方相談で見えた「氣の巡り」とストレスの偏り
問診と糸練功から見えた体質の傾向
初回の相談では、睡眠の質、胃腸の状態、手足の冷え、疲れやすさ、日々のストレスの種類、そして性格の傾向まで、時間をかけて聞き取りました。
Aさんは「まじめで、頼まれたことは断れないタイプ」と自己評価されており、家族のために・仕事のためにと、がんばり続けてきた方でした。
聞き取りと並行して、糸練功(しれんこう)という気功由来の体質確認の技法を用いて体の状態を確かめました。
Aさんの場合、「気の巡りの停滞」がはっきりと確認できました。
そのため頭と胸ばかりが緊張していて、呼吸が浅くなっていたと考えられます。
やることが多すぎて、自分の気持ちを置き去りにしているような状態、とも言い換えられます。お腹に不調が出やすいのも、その巡りの滞りと無関係ではありませんでした。
氣の巡りと胃腸を同時に支える漢方処方に
見えてきた体質の傾向をもとに、氣の巡りを整えることを中心に据えながら、胃腸のはたらきとからだの土台を同時に支える漢方薬3種類を組み合わせた処方を組みました(具体的な処方名は体質によって大きく異なるため、ここでは割愛します)。
「まずは3か月を一つの目安に、電車に乗る・乗らない以前に、からだと心の土台がどう変わっていくかを一緒に見ていきましょう」
そうお伝えすると、Aさんは少しほっとした表情になりました。
「電車に乗れるかどうか」だけを目標にせず、まずからだの内側から整えていく、という考えを受け入れてくださった様です。
「やらなければいけないこと(must)」と「やりたいこと(want)」のバランス
mustばかりが増えると、氣の巡りが滞りやすい
漢方の養生の考え方では、朝から晩まで「やらなければいけないこと(must)」だけをこなし続ける生活は、氣の巡りを滞らせやすいと考えます。
起きたら朝食の準備、子どもを送り出して、仕事へ行って、帰ったら夕食・洗い物・明日の準備などなど。
一つひとつは当たり前のことでも、「自分がやりたいこと」をまったく挟む余地がない毎日は、からだと心に少しずつ負荷をかけていきます。
Aさんも、家族のため・職場のためにがんばり続けてきたタイプです。
趣味や好きなことに時間を使うことに、どこか罪悪感があったとおっしゃっていました。
少しずつ「やりたいこと」を増やしていく提案
そこで漢方と並行して、「must」と「want」のバランスを少しずつ取り戻す養生をお伝えしました。
大きなことでもなくてよく、「自分がやりたいから」という理由だけで時間を使える何かを、週に少しでも持ってほしいというお話です。
Aさんは少し考えてから、「学生のときにギターを弾いていたけど、結婚してからはずっとしまったままで」とおっしゃいました。
「それ、ぜひ再開してみてください」
電車への恐怖とは直接関係のない話のように見えて、こうした「自分のための時間」を取り戻すことが、氣の巡りを整えるうえでとても大切だと考えています。
1か月、半年、1年後——ふたたび電車に乗れるようになるまで
服用1か月後|まだ電車は無理だが、心は少し安定
1か月後の来局時、Aさんの言葉はこうでした。
「電車はまだ怖くて乗れていないんですが、朝起きたときの不安が、以前よりちょっとだけマシになってきた気がしています」
自覚症状の変化はわずかでしたが、気持ちの浮き沈みが少し落ち着いてきた様子は、表情からも感じられました。
そしてギターを再開したことで、「20年ぶりに弾いてみたら、なんか泣けてきました」と、少し笑いながら話してくれました。
日常の中に、自分のための時間が少しずつ戻り始めていました。
半年後|漢方薬を減らせるほどに安定
半年が経つ頃には、動悸や息苦しさが出る頻度がかなり減っていました。
電車にはまだ乗れていないものの、それ以外の日常生活(仕事・家事・人付き合い)は以前より格段に安定してきたとのことでした。
糸練功での確認でも氣の巡りの状態が整ってきたため、このタイミングで漢方薬を1種類減薬しました。
9か月〜1年後|新幹線での旅行も楽しめるように
さらに3か月後、残っていたサポート薬をすべて卒業しました。
その後、「家族で旅行に行きたい」という目標を立て、新幹線に乗ることに挑戦。
「緊張はしたけれど、発作にはならなかった。ちゃんと乗れました」という報告をいただきました。
「行きたいところに、自分の意思で行けるようになった」という実感は、症状の消失と同じくらい、あるいはそれ以上に大切な回復の証だと感じています。
現在は、再発予防も兼ねて少量の漢方薬を続けながら、旅行を楽しんでいるとのことです。
この症例からお伝えしたいこと
「電車に乗れない」という悩みの背景には、パニック発作だけでなく、もともとお腹に不調が出やすい体質・長年のmustの積み重ね・氣の巡りの滞り、といった要素が重なっていることが少なくありません。
病院での治療を続けながら、氣の巡りや胃腸・疲れやすさなど、からだの土台から整える漢方の関わり方もあります。
パニック発作や不安感でお悩みの方の中には、体質から支えることで少しずつ波が小さくなっていくケースも少なくありません。
ただし、経過や必要な期間には個人差があります。
「〇か月で必ずこうなる」とお約束できるものではなく、あくまでも一例としてお読みいただければ幸いです。
「電車やバスが怖い」「駅に近づくだけでお腹が痛くなる」
そんな状態を、ひとりで抱えてきた方へ。
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